東京高等裁判所 昭和27年(ラ)71号 決定
本件抗告理由は末尾に添附した別紙記載のとおりである。よつて按ずるに、すべて日本国民は、その基本的人権として、海外渡航の自由を有し、国家と雖も濫りにこれを侵してはならないものである。しかしながら、右渡航の自由も公共の福祉の見地から若干の制限を受けることあるべきは当然であつて、出入国管理令が日本人の出国及び帰国の場合に旅券の所持を必要と定め、旅券法が旅券交付の要件手続等を規定しているのは、いずれもこの意味における渡航自由の制限に外ならない。従つて日本国民は一般的には海外渡航の自由を有するものとはいえ、現実に海外に渡航せんとする場合には、必ず先づ旅券法の規定に従つて所管行政官庁に対し旅券の交付を申請すべく、その発行を受けて初めて、よく適法に渡航できることとなるのであつて、仮令旅券の交付を受ける資格において欠けたところがなくとも、現実に旅券の交付を受けない限り、濫りに海外に渡航することは許されないものである。ただ所管行政官庁としては、旅券交付の申請があつた場合、その申請にして旅券法に定める要件を具備する以上、遅滞なく旅券の発行をなすべきものであつて、何等正当の理由なくして旅券の発行を拒否することは、憲法の保障する海外渡航の自由を侵すものである。
本件において抗告人等の主張するところは、要するに、抗告人等の旅券交付申請に対し、外務当局は、旅券法第十九条第一項第四号及び同法第十三条第一項第五号の規定に準拠して、旅券の発行を拒否する旨を決定したものであるが、右旅券交付申請については、何等敍上旅券法に規定する旅券発給の制限条項に該当するところがないに拘らず、正当の理由なくして旅券の発行を拒否したことは無効の行政処分であるというのであつて、抗告人等は右行政処分の無効確認の訴を提起するに当つて、抗告人等の右渡航権を保全するため、「一、抗告人等がソヴエート連邦モスクワ市において昭和二十七年四月三日より同月十日まで開催せられる国際経済会議の参加のため、モスクワ市に赴く資格ある海外渡航者たる地位を仮りに定める。二、相手方は抗告人等が右の目的でモスクワ市に赴くことを実力をもつて妨害してはならない。」及び予備的に「三、抗告人等が昭和二十七年二月二十五日附をもつて、東京都知事安井誠一郎を経由、外務大臣吉田茂に対し、昭和二十七年四月三日より同月十日までソヴイエート連邦モスクワ市において開催せられる国際経済会議に参加の目的でモスクワ市に赴くためなした旅券交付申請に対し、外務大臣吉田茂が右旅券交付を拒否した行政処分の意思表示は、抗告人等相手方間の行政処分無効確認事件の判決確定に至るまでその効力を停止する。」という趣旨の仮処分命令を申請するものである。
しかしながら、仮令抗告人等の主張するように、右旅券発行の拒否が無効な行政処分であるとしても、これを理由として直ちに裁判所に対し、敍上のような趣旨の仮処分命令を申請し得るかどうかは別に考えられるべき問題である。
前記仮処分命令申請の趣旨一及び二は、結局仮処分によつて旅券交付のあつたのと同様の地位を抗告人等に認めんことを求めるものであるが、それは司法機関である裁判所に対し、所管行政官庁が旅券の発行をしたのと同様の積極的効果を生ずることを内容とする裁判を求めることに帰し、かような裁判は行政庁に属する旅券発給の権限を裁判所が代つて行使するに等しいものであるから、裁判所を原則として法の適用を保障する機関たらしめているに過ぎない憲法の趣旨から考えて、法律上特に認められている場合の外は、裁判所としては、行政庁に代るべき処分をなしたと同様の効果を生ずるような仮処分をなすことは許されないものと解すべきである。従つて本案訴訟の請求が如何なる趣旨のものであつても、本件仮処分命令申請の一及び二のような趣旨の仮処分はこれをなし得ないものといわなければならない。
又抗告人等は、予備的に、外務大臣の旅券下附申請拒否の意思表示の効力を停止する旨の仮処分を求めているが、元来裁判所は行政処分の違法であるかどうかの判断をなし得るものとはいえ、その審判に先だつて、行政処分の執行を停止せしめるような仮処分をなすことは、司法権本来の権能の限界を超えたものであるから、裁判所としてはかような仮処分をなし得ないものであつて、ただかゝる仮の処分の申請は、所謂抗告訴訟又は行政庁を相手とする行政処分の無効確認の訴を提起した場合において、行政事件訴訟特例法第十条第二項の規定に準拠して審判されるものに過ぎない。
しかのみならず、かような仮処分命令の申請が許されるものとしても、旅券交付拒否処分の執行を停止することは、単に旅券発行拒否という処分のなかつたと同様の状態を生ずるにとどまつて、かゝる仮処分によつては、所管行政官庁に旅券の発行を命ずることにはならないばかりでなく、旅券の交付を受けないでも適法に渡航できるものともならない。かように考えると、抗告人等の渡航権を保全するために、かくの如き仮処分をなすことは無意味に帰することゝなるから仮処分の必要性を欠くものとして、右仮処分の申請を認容することはできない。
以上の理由によつて、抗告人等の本件仮処分の申請は失当であるから、これを却下した原決定は正当であつて、本件抗告は理由がない。
よつて本件抗告を棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。
(裁判官 浜田潔夫 河合清六 仁井田秀穂)
抗告理由
一、抗告人等が本件申請において主張するところの要点は左の如くである。
(1) 相手方の機関たる行政庁が本件旅券の発給を拒否した行政処分の理由とするところは「旅券法第十九条第一項第四号の趣旨に鑑み」というにある。然し同条は旅券発給後における返納に関する規定であるから、これを理由とする右拒否の意思表示は要素に錯誤あり無効な処分である。
(2) 仮に然らずとするも旅券法の同条項は、旅券発給申請者の安全保護の規定であつて、本件の如く会議開催地の国に於て、その生命身体財産等の安全を保障していることが明白である場合には該当しないことは極めて明瞭である。本件拒否の処分は、斯る明白な点につき錯誤あるものであるから、無効である。
(3) 右の主張が理由ないとするも、抗告人等の有する基本的人権たる海外渡航の自由を制限することは、ただ公共の福祉の見地から必要とされる場合にのみ許されるものであり、かかる公共福祉上の必要がないにかかわらずこれを制限禁止することは違憲無効の処分である。斯くの如き公共福祉上の必要に基かざる制限は旅券法又は出入国管理令を以て科することができないのみならず、同法の適用により海外渡航の自由を制限するに当つても、渡航の自由を認めることにより、公共の福祉に対する明白にして直接的な危険が発生し、これを防止する必要が認められる場合以外には、単なる主観右認定を以て海外渡航の自由を制限し得ざるものである。
本件において行政庁の拒否の理由とするところは、単に「旅券法第十九条第一項第四号の趣旨に鑑み」というが如き、極めて漠然たる理由であつて、そこに何ら公共の福祉上の明白かつ直接な危険の存在を認めるに足りる具体的理由の説明がないのである。従つて斯ることがらを理由とすることは、基本的人権に対する制限を必要とすることを首肯せしむべき何物もなく、憲法上の権利を侵害する無効な処分と言わねばならない。
二、原決定は、海外渡航の自由は国家と雖も濫りに侵してはならない基本的人権であることを認め、かつ出入国管理令及び旅券法の規定が公共の福祉の見地からする「若干の制限」であつて、旅券の所持なき限り海外に渡航することができないと定めることは、海外渡航の自由が憲法の定める基本的人権なることと矛盾しないと判断している。右の二法の合憲性如何はしばらくおくも、公共の福祉上の必要が認められないにもかかわらず旅券を発給しないとすれば、当該海外渡航者の基本的人権が侵害されることは何ら変らない。法律が合憲であつても、其の適用による個々の行政処分が違憲であり無効である場合があることは、法令そのものの有効無効とは一応無関係である。(例えば公安条例に基き無届けの集会を解散せしめる場合にも、公共の福祉に対する危害が認められない限り、その解散処分が違憲無効な処分であることがある。昭和二六、三、一一、福岡高等裁判所判決参照)
法令が公共の福祉に基くものであるから、法令による基本的人権の制限は常に合憲であるとすることは、旧憲法時代の立法によれば如何なることでも制限し得るとする思想と差異はない。
三、原決定は、外務当局による本件旅券発行拒否処分は不当なものであるにせよ、この不当を理由に直ちに裁判所に対し旅券交付のあつたと同様の権利を申請人らに認めんことを求むるのは現行法に認められないとしている。然し前述の如く抗告人等は元来海外渡航の自由権を有しているのであるから、出入国管理令及び旅券法による旅券所持の要件は絶対的なものではなく、政府が正当の理由なくして自ら旅券を交付しないに拘らず、旅券のないことによつて海外渡航の権利を侵害するが如きは不当の処分ではなく、違憲無効の処分であり、事理上到底許すべからざることである。従つて斯る場合には、この海外渡航の権利を否認されつゝある個人が、その権利の存在の確認を裁判所に求めることは所有権確認賃借権確認訴訟と同様、別に三権分立の精神に反するものではない。本件の場合においては、行政庁自らが司法の介入の必要を造成誘引しているのである。三権分立というも、結局は基本的人権を擁護伸長するための手段たるにすぎぬものであつて、本件の場合の如く行政庁自らが違憲の処分により、基本的人権の存在又は行使を否認しているような場合において法律上の争訟を司る裁判所が、具体的な海外渡航の権利があるかどうかを判断することは極めて当然のことである。
四、而して、本件の如き場合保全訴訟の如き仮の処分が許されるか否かについては議論のあるところであるが、原決定の如くこれを行政事件訴訟特例法第十条第七項によらしめんとすることは、ことさらに易きにいかんとするものである。同条第二項による一種の保全処分は、保全処分としては極めて不完全なものであり、特に内閣総理大臣の異議による絶対的否認の規定の存在の如きは、殆んどこの保全処分の存在価値を疑わしめるものである。特に本件の如き、外務大臣が内閣総理大臣を兼ね内外の注目の的となつているが如き事件において総理が異議権を行使することは必至である。また元来本件のように旅券発給拒否という如き、消極的処分の執行を停止するという観念自体が極めて疑問である。
かくて抗告人等としては、本件の如き場合においては、単に損害賠償請求を以て満足するか、或は旅券なしに敢行するかの二途以外にその権利の救済の方法がないということになるであろう。斯ることが果して法の要求するところであろうか。時の多数派政権の首領の意のままに基本的人権の制限がなされ、これに対して何ら司法権による直接の救済手段がないということは法治国でないということである。固より司法権による判断も行政権の実力による拒否の前には事実上その判断の執行不能となることはあり得ることであるが、少くともその判断自体は、これをなし得るのが民主々義国家の根本原理でなければならない。このことは何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われないとする憲法第二十二条にも明らかである。
五、なお原決定は抗告人等の予備的主張たる外務大臣の旅券下附申請拒否の意思表示の効力を停止する旨の仮処分につき、かかる仮処分の申請は抗告訴訟又は行政庁を相手とする行政処分無効確認の訴を提起した場合に限り審理せらるべきものとしているが、行政処分の無効確認の訴を本訴とする場合には抗告訴訟に特有の各種制限による要なきことは行政事件訴訟特例法の明文上明瞭であり、仮に然らずとするも抗告人等は本日東京地方裁判所に行政庁を相手とする行政処分無効確認の訴を提起したから(同裁判所民事第二部二七年(行)第一五号)、右決定の右の部分は理由なきものとなつたものである。
六、相手方は外務大臣の名を以て昭和二十七年三月十九日付通知書を以て、旅券発給を行わない理由として、新に「旅券法第十三条第一項第五号の趣旨に鑑み」との字句を加え、而して右は三月十五日付通知書には事務上の手違いによりその内容に脱字があつたものであるとしている。
右事実は外務大臣の拒否の判断の過程が忽卒ずさんであつたことの有力な証左とも言い得るが、いずれにせよ抗告人帆足は前参議院議員として、抗告人宮腰は現衆議院議員として厳格な資格審査を受けこれにパスしている者であるから(抗告人帆足は前緑風会、現社会党左派所属、抗告人宮腰は現改進党所属)旅券法第十三条第一項第五号に規定する「外務大臣において著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当しない者であることが明白であり、且つ右通知書には何等具体的事由も記載されていないのであるから、いずれにせよ斯る理由により抗告人等の海外渡航の自由を制限禁止することは違憲無効の処分である。
元来同条項は麻薬、銑砲、為替関係等の犯罪を防止しようとするのが立法の趣旨であつて若し被告の挙げようとする具体的事由が抗告人等の政治的社会的言動にありとすれば、それは旅券法の関するところではないのみならず、憲法第十四条(信条による差別禁止)ないし憲法第十九条同第二十一条等の規定に違反する無効な処分である。
よつて本件申請は外務大臣の理由追加にかかわらず是認せらるべきものである。